昭和44年02月17日 朝の御理解



 御理解 第2節
 「先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない。」

 先の世までも持って行かれ、子孫にも残るもの。しかもそれが、信心をすれば神徳は誰でも受ける事が出来る、見てるという事がないと、限りがないと言うのです。これは信心のお互いの目当てなんです、ね。例えば、まあここにおかげを受けなければならないというのは、その事を通しておかげを、その事を通してお徳を受けるという信心にならなければならん。
 昨日は日曜でございましたから、それではなくてもお広前がいつも賑わいますので、昨日、竹内先生んところのお父さんの式年祭が、御親戚全部が何十名、三十何名か集まられまして、ここで大変、まあに賑やかな、そしてまあ、おごそかに式年祭が奉仕されました。若先生は昨日南久留米の御大祭で行っております。先生方は皆、霊祭の準備に「おおあらわ?」です。
 それにはあの、昨日ここでまあ「吉井、やまとろ句会?」というその、発句の会がございます。それがここを会場に貸してくれという事が前に頼んで、若先生がそれを引き受けていたらしいんです。ですからその日はそんなに混雑するんだけれども、まあ別にこちらでその構う事はいらん、部屋をまあ共励なら共励殿を一部屋提供しておけば良い事だからと言うのであそこを一つ提供して。
 ここで句会が朝から、もう私が久留米に参ります頃まででしたかちょうど5時頃まで、何にやっぱ30~40人集まっておられましたでしょうか。沢山の人が集まってその俳句の吟行会ですかね、俳句を読む会があって。私は覗きも勿論する暇もなかったし、また会私共が覗きもいけないと思って、覗きもしませんでしたけれども。こんなに沢山な句が出来て、先生これ一遍ご覧下さいて、とにかく何枚でしょうか。
 八十、八十三枚。それに一、二、三、四、五。五個ずつですから、どがしこになりますか沢山な句が出けておる。もうそれこそこの合楽の内外、それからある意味では信心の内容まで、もう部屋にはどういう調度があるといったような事が、この沢山の句の中にも唄い上げられておるという感じでございますね。もう本当にあの、その道に精進する人達の着眼点と言うか。
 その小さい事にでも気を止めておられるのに、もう驚くばかり。昨日私はこれを何回も何回も矢次さんとこ、ああそれから昨日矢次さん所の宅祭りもございましたから、行き戻り、帰ってからもう何回も読ませて頂いたんです。でこちらへ、その先生の作でしょう。これ何と言うんでしょうか。草冠に青いという字が書いてあるが、菁々し(しょうしょう)と書いてあるですね、という、まあ雅号でしょう。
 ここの石庭ですね、ここの。石庭を見られて、こういうような句を作って、ここに置いて行って下さっておりました。あの岩を、まあ、がん、てん、巌と見ておられるんですね。天地巌、神心なる椿萌えと・・・天地巌、神心なる椿萌えと。岩は巌、神心根の椿。まっ、ちょっと手当たり次第に、ちょっと呼んで見ましょうかね。信心のその人柄や迎春か。のどけさよ、琴親の声美しく。
 信心の砂庭(筝)目、春の雨。強風の庭に風情の春の雨。客殿や、筆削匂うカーネーション。心弾く琴の調べや春の雨、宮柱、蹲、春の湧くごとく 釜鳴りに心清める春時雨。昨日はもう朝、豊美があのお茶なんかなさる方があるなら、自由に使って頂こうと言うので、お茶室に火が入ってたんですかね。だから、やはり俳句をなさる方達ですから、その散々合々あちらへ行ってお茶を楽しまれておられる模様でした。
 早春の御霊祭りに琴太鼓。石庭に桐の下駄置いてある。これなんかですね、あの客殿の中に桐の下駄が置いてあるでしょうが庭下駄が。ああいう小さい所に目を止めておられる、ね。手あぶりのあり親先生の春の部屋。まあ私の控室を呼んでおられる訳ですね。手あぶりのある親先生の春部屋。カーネーション、奥の洋間のシャンデリア。ためらいし雑巾白し春の土。春の野に合楽という大宮い、大宮殿の宮と大その大宮と。
 「春灯か結界の人つつましく」。昨日がもう一日ほとんど上野さんが奉仕しておられたんですね。春灯か、結界の人つつましく。控えの間春の色奥菊花石。春灯に導師も、導師というのは導く人ですね、この春のこの、こげなとでしょ。春灯に導師黙する御結界。日本間の二枚障子に梅白し。神殿の八つ並紋に春の雨。能面にはいし埋けられ猫柳。寒竹や、白壁映る京作り。石庭の石の一つのコケ庭を。月山にしるべ灯炉、春の雨。楽殿に、隣と書いてある隣、横という意味でしょうね。
 石庭春の雨。名園の隅に一時のわびすけも。音もなく茶室の春のかけい水。春火鉢、信者溜まりに加わりて。客殿に紋章の茶葉か猫柳。私は、お茶菓子は全部あの、御紋菓子をどの部屋にも出しとったんですよね。御結界の御指導がん、福寿草、これは「   」私のことでしょう。春雨や香たき込めてある御部屋。春灯に信者の祈り深かりし。雅楽そえ、式年祭や春の雨。玄関に春雨傘をたたみけり。お見過ごし春灯淡し神づかい。親様の身軽きあないふくじゅそう。
 祝詞今、式年祭の春の宮。俳、俳句の部屋っていう事ですね。句座魚拓、ちょんと、ちょんとあっての。ちょんと豆(火へんに金という字)、福寿草。あの大きい卓の上に、福寿草の造花が置いちゃる、あれを作っとったんですね。寒竹や、寒の竹ですね、寒竹や、親先生の控えの間。瞬間や、広き殿堂、道迷う。廊下のろが書いちゃる。春雨に相和し琴の音色かな。ぼんばえや、袱紗さばきの人ら。
 身服をかかげ、ぼんばえ色ぞえて。高槻のご紋菓五段春灯か。美しき人の生涯、春の虹。菊花石飾る、しゅんろの控えの間。化粧みね、八つ波金門春の雨。いそなわず神尊しや春の琴。洋室やシャンデリアの室のはな。こうにおう、一室あり、春の宮。お茶菓子も八つ波の紋、春の日。能面のかかりし廊下に猫柳。鯉の水色めきたてり春の雨。まろやかにしずく育ててて春の雨。
 ぼんばえや、三軒床の片隅に、盆梅え。盆栽の、あの永瀬さんの持って来て下さっとるお梅を私が、あそこに、共励殿に置いとったんです。これが沢山句になってます。琴線の吉備楽流れ、春の、神の春。合楽とは平穏な里、春の雨。真似る子の拍手いじらし春の雨。からかねの、かにつくばいに、実南天。実のなる南天ね。唐作り、カーペットある座敷。客殿に入るところの唐のカーペットのこと、ね。
 どの庭も皆京づくり、芝を刈り。献饌のしちょうかけたる、春マスク。修行生の人達の事ですね。教会に琴の音ありて春の雨。もち大樹一雨ごとに芽ふきおり。あの大きなもち木ことです。春灯や、居眠りおりぬ神使い。御結界でこう目をつぶって眠っとるように見えとったんでしょうね。眠っておったかも知れません。このあの、女の御結界の人があそこで眠っとるという句が沢山あるです。
 そしたら、そうして昨日は一日上野さんが奉仕しておりましたからね。福寿草大テーブルに陰うつす。大卓に福寿草植え、紋菓子も。春灯の春の光ですね、幽玄にして御結界。三幅の軸に盆梅え、盆栽の梅ですね。所得。道迷う春の殿堂白木の香、道とこうローカのロというように書いちゃるですね。珍しき、調道種々春座敷。春となり、七十翁老女の朝参り。触れてみて造花でありし福寿草。束帯のねぎですね、先生のことですね、神主のこと。ねぎ昇殿す、春の雨。沢山なのが「沢山?」そこに呼んである。
 もう本当に、心行くばかりにと、まあその、ここで句会をこう作って楽しまれた訳でございますけれどもね。その信心のない人達の見る教会。信心のない人達の信者の姿、信心のない人達の信心、私共の信心ぶりといったようなものを見ておる事は実に美しいですね、一つの句にでもしようということ。そういう姿が私共のように日常生活になる時、私はお徳が受けられると思うですね。ところがこれに、どうでしょうか。
おかげもらいばっかりの人が集まって来るといったような風に、この感じてない訳ですよね。それは、ここのたたずまいから、あのそれを実感したものが唄、句になってる訳でございましょうけれども。天地巌、神心なる椿萌えと、いうような句なんかは、これはこの、ここに神心なると使うておられるところなんかは、これは大変な事だと、こう思うですね。これが私はあの、あの世まで持っていかれるものは、神徳じゃとこう仰る、神徳だとこう思います。
 昨日竹内先生所の式年祭を仕えさせて頂きました時にも頂きます事に、。生まれる事もそして死ぬ時もという事を頂きましたですね。生まれる時もそして死ぬ時も、ね。ですからその生まれる時が有り難いなら、死ぬる時にも私共がお道で言う所のお死生観というものがですね身につくような信心、ね。所謂死に際にもお願いをし、死に際にもお礼を申して行けれる信心。そういう信心を身につけて行くという事が御神徳、ね。
 この世にどれだけの家蔵また財産を残しておっても、あちらではそれが何の役にも立たないという事をですね、もうその私の御心眼にこう網を打ってる。その網の中に沢山な魚が入ってる。それを浜から引いておるけれどもあまりに沢山入っておるものですから、それを浜に引き上げる事が出来ないと言う様なお知らせを頂いた、ね。ですからそれだけ沢山の千銀なら千銀一万銀なら一万銀のものを残す事も有り難いけども。
 ならそれが持てれる、私は信心と力を頂いておかなければ、あの世には持っていけない事が分かります。この世に百万円残しておるならば、その百万円が持てれる力を、私共が持っておかなければそれは何もならん。かえってそれはむしろ仇になる様な結果が生まれて来るでしょう、ね。ですから私共がその地位も例えば名誉もですね、やはり地位とか名誉といったようなものもあちらには持っていけんのである。
 けれども神様の御信用あっての地位やら名誉でなからなければです、持っていかれん。ね、ただ我情我欲で出来た地位とか名誉とか、または財産と言った様なものは、どうにもあの世に持って行く、役には立たないもの。どうぞ一つおかげを頂いて、愈々そこん所にですね、私共が焦点を置いて神様の言うなら御信用と言うか、裏付けのあるものを身につけていく事の楽しみと言う様な。それには私はここに神心なる椿萌えという所にですね、元気な心というものを感じます。
 元気な心と言うのは疲れを知らぬ心だと言われるのです。ね、若い人達がいくら働いても疲れをしらない様に元気な心とは疲れを知らぬ心。ですから私共が例えばなら昨日のような忙しい一日でありましてもです、やっぱり夕べも遅うかったですけどもそれから又、久富先生と久富繁雄さんに手伝うて貰ってから、お初穂の整理をさせて貰ったりあちらこちらの整理をさせて頂いて、まあ休ませて貰ったんですけれども。
 はあもう疲れたもう早う寝ろう寝ろう、と言う様なのではなくてですね、何とはなしに自分の好きな事とでも申しましょうかね。まあ有り難い事をまっなしておる時には疲れてもなら感じるものじゃありません、ね。自分の好きな事をしておる時には疲れるもんじゃない。けども嫌々ながらであるところに疲れがある。ね、ですから信心もやはり有り難い、勿体無い、いわば楽しい有り難いというところからですね。
 疲れを知らん元気な心が頂けれる訳です。その元気な心で、先の世までも持って行けれる神徳を目指しての信心。それはおかげを頂き、頂き、そのおかげそのものにです、ね、それ、そのおかげそのものが持てれる信心。ね、を身に付けて行っていくところにですね、私はいわゆるお道の信心の一番ギリギリのところ、ね。死に際にもお願いをせよ、死に際にもお礼が申し上げれる、いわば、これを持って行きさえすれば。
 もうあの世でも大丈夫と思うから生まれる時もめでたいなら、死ぬる時もまためでたいという気持がありそこに安心がですね、頂けれるもんだと私は思うのです。今日は何か昨日の俳句の私が感じた、俳句の披露の様な事でございましたけれども、ね、その中からあの御信者さんじゃない信心のない方達が見ておる合楽。またはあの信心の姿と言った様なものを今申しました様な事で、こうキャッチしておられます。ね、
 決して信心というものは、金光様の信心というのは御利益信心じゃないなと言う様な事を感じてもらっておる感じ。そこで私共の信心がです、ね、そりゃあ勿論御利益、所謂おかげを頂かなければなりませんけれども、そのおかげはどこまでもそれに根拠のあるおかげ。所謂実態のあるおかげ、ね。信心そのものが分からせて頂くところから生まれてくるところのおかげ。そういうおかげでなからなければ、あの世には持って行かれないという事を、心に銘記しておかなければいけませんですね、
   どうぞ。